ブラジルサッカー便り 

2014年よりブラジル、サンパウロ在住、サッカー大好きです。

クライフと、テレ・サンターナ、2人の伝説的名将が世界一を決める試合の前に東京のホテルで会っていた。 アルゼンチン人の担当主審が告白

f:id:kimio_ido:20171215031116j:plain

選手としても、監督としても実績を残し、サッカー界の潮流に大きな影響を与えたヨハンクライフ

f:id:kimio_ido:20171215031143j:plain

1982年のワールドカップで「黄金の中盤」のブラジルで世界を魅了した、テレ・サンターナ(中央・左はソクラテス、右はジーコ)


 25年前の12月13日、クライフと、テレ・サンターナが、トヨタ杯(インターコンチネンタル杯・今のクラブワールドカップの前身)での対戦前日に、「時間稼ぎや、シミュレーションなどなしにしよう。そんなことする選手がいたら交代させよう」とお互いに約束していた事が、スペインのスポーツ紙、マルカのスクープで発覚し、ブラジルでも話題を呼んでいる。

 このエピソードを暴露したのは、その試合の主審を務めた、アルゼンチン人の元審判ファン・カルロス・ロウスタウ氏だ。当時は出場2チームも、審判も同じホテルに宿泊しており、2人の試合前夜の語らいは4時間続いたという。

「ロビーに下りていったら、テレが私に寄ってきて、『クライフに紹介する』って言ってくれたんだ」とロウスタウ氏は語る。
 「彼らはサッカーをなにか神聖なものであるかのように語らっていた。怪我したふりや意味のない交代で時間を稼ぐなんて、よいことではないとの意見で一致していた。クライフもテレ・サンターナも、トヨタカップに本当に勝ちたいと願っていた。でも、何をしてでも、汚いマネをしても、というわけではなかった」と振り返った。

 1992年のトヨタカップでは、欧州代表FCバルセロナ、南米代表FCサンパウロの黄金カードが実現した。

 まだ、欧州チームに外国人枠もあり、TVマネーやオイルマネーの流入で欧州チームと南米チーム間の戦力に大きな差が出る前の時代のことだ。
 FCバルセロナにはブルガリア代表ストイチコフ、デンマーク代表ミカエル・ラウドルップ、スペイン代表グァルディオラ、オランダ代表クーマン、スペイン代表スビサレッタがいて、サンパウロFCにはミューレル、パリーニャ、ライー、トニーニョ・セレーゾ、カフー、ゼッチ(全てブラジル代表経験者)らがいた。
 きら星の如くスターが集結した一発勝負は、今はもう壊されて存在しない、東京の国立競技場に6万人の観衆を集めて行われた。

 試合はFCバルセロナがストイチコフのFKで先制するも、ライーの2得点でサンパウロFCが逆転勝ちを収めた。その後93年、2005年と3度世界一に輝くサンパウロFCの初栄冠だった。
 
 御年70歳のロウスタウ氏は、「40年も一線で審判をやってきたが、あの試合の前の二人の伝説的名将の会話に立ち会えたこと、それ以上の経験はない。サッカーが私に与えてくれた中でもっとも豊かな経験だった。クライフと、テレ・サンターナの2人は、よいプレーをして負けることは決して、挫折でも、敗北でも、恥じる事でもないと確信していた。だから、その信念に忠実な試合を世界一決定戦の場でやりたかった。その方針に従わない選手は交代させるつもりだったんだ」

2人の「芸術サッカー」の信奉者はその後二度と対戦することなく、テレ・サンターナは2006年に75歳で、クライフは2016年に69歳でなくなった。