ブラジルサッカー便り 

2014年よりブラジル、サンパウロ在住、サッカー大好きです。

インターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)の勝者も世界一、FIFAが正式に認める

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 FIFAが27日にインドのカルカッタで開かれた役員会で、「インターコンチネンタルカップ(1980年以降のトヨタカップ)の勝者も正式にクラブ世界一だった」と認めた。

 インターコンチネンタルカップ(1980年以降のトヨタカップ)とは、1960年に始まり、2004年まで行われた、ヨーロッパチャンピオンズカップ(その後UEFAチャンピオンズリーグに改称)と南米のリベルタドーレス杯の勝者同士で争われた大会のことだ。

 最後のトヨタカップが行われたのが2004年だから、もう覚えていない世代もいるのだろうか? 名古屋に生まれ育ち、サッカー大好きだった僕には、上京した1998年に真っ先に国立競技場に観に行った思い出の大会だ。
 
  インターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)優勝も世界制覇とカウントされることで、一番恩恵を受ける国はブラジルとアルゼンチンだ。
 
 ブラジルに限れば、1981年ジーコを擁しリバプールを倒して、同大会を制したフラメンゴ、1983年レナト・ガウーショを擁しHSVを降したグレミオ、伝説的名将テレ・サンターナに率いられ、1992年にバルセロナ、93年はミランを倒し連覇したサンパウロFCの偉業がFIFAから正式に「世界一」と認められることになったのだ。
 
 連覇なら、まだインターコンチネンタルカップと呼ばれていたときに、1962、63年にペレを擁したサントスが達成している。62年の相手はベンフィカ、63年の相手はミランだった。まだこの時は大陸をまたぐホームアンドアウェー形式で、サントスのホームゲームはリオのマラカナンだった記録が残っている。1960年代に、ペレのサントスは、エウゼビオのベンフィカや、ジャンニ・リベラ、チェーザレ・マルディーニのミランと15万人が詰めかけたマラカナンで世界一の座をかけて戦ったのだ。こうした伝説が、正式に世界一決定戦だったと認定されるのは喜ばしい。
 
 実は「インターコンチネンタル杯(トヨタカップ)勝者を正式に世界一だったと認めて」との要望は南米サッカー連盟(CONMEBOL)から出されていた。CONMEBOL会長アレハンドロ・ドミンゲス氏はツイッターで今回の決定に大喜びし、6月28付でジャンニ・インファンティーノFIFA会長に送った、請願書のレターまで公開した。

 ただし、「あれは正式に世界一だった」とFIFAからお墨付きを貰ったのは、何もブラジル、アルゼンチンのクラブだけではない。
 
 ミランは1969、89、90年とインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)の時代に3回優勝している。ミランが世界一になった回数は、2007年のクラブワールドカップの1回だけなのか? インターコンチネンタルカップの優勝とあわせて4回なのか、僕からすればえらい違いだと思うのだが、ミランが、UEFAがロビー活動をした話は聞かないし、インターコンチネンタル杯時代、1970年に一度だけ優勝したフェイエノールトや74年のアトレチコ・マドリードなども、もっとこだわってもよさそうだが、南米ほどの熱意はない。「認められたぞ!」とはしゃいでいるとの報道もない。

  欧州のチームは、過去のインターコンチネンタル杯がどうだったこうだった以前に、今のクラブワールドカップへのモチベーションさえも、それほど高くない。UEFAチャンピオンズリーグに優勝することが究極の目標なのだろう。逆に南米クラブは、現代において、名実ともに世界一クラブになる可能性は非常に低い。ずっと前から、現役のブラジル代表選手はほとんど欧州クラブ所属だし、クラブワールドカップの決勝で、「ペレのサントスXエウゼビオのベンフィカ」的な図式が描かれることもない。南米クラブはクラブワールドカップで時々、決勝進出も逃している。

 だからせめて「あの時のあれは…」と自らを慰めたい、ロマン主義、懐古主義のあらわれを感じた今回の決定だった。