ブラジルサッカー便り 

2014年よりブラジル、サンパウロ在住、サッカー大好きです。

フランスW杯でジャマイカを率い、日本を倒したレネ・シモエス 監督のメンターに

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ジャマイカ代表監督として、日本代表の前にも立ちはだかったレネ・シモエス

 (Bryan Cummings)
 レネ・シモエスという監督の名前を覚えているだろうか?今から19年前、日本が初めて出場したワールドカップで、グループリーグで同じ組になったジャマイカを率いていた、チョビ髭が印象的なあのブラジル人監督だ。 アルゼンチンに0-1、クロアチアにも0-1と惜敗が続き、「せめてジャマイカには」との思いで臨んだ試合でも1-2と敗れたあの試合、リヨンのスタジアムで見ていた僕もよく覚えている。

 シモエスは、フラメンゴの育成チームでプロ選手を目指したが、早くに選手としての道を諦め、監督への道をすすんだ。25歳でリオ州の小さなチームセラーノで監督としてのキャリアをスタートさせ、その後は40年間も監督を続けた。ビッグチームでビッグタイトルを獲った経験こそないが、中東や、年代別のブラジル代表、アジアや北中米カリブ海のチームも指揮し、2004年にはブラジル女子代表でアテネオリンピック銀メダルも獲得した。

 そのシモエス、今年、マカエというリオ州の小さなチームを最後に、64歳でサッカー監督のキャリアに終止符を打ち、フリーランスのスポーツコーチング業を営んでいるという。

 コーチの文字を見たとき、監督の下について、練習内容や、戦術、作戦立案を補助する普通のコーチの事を思い浮かべたがどうもそうではないらしい。彼はいわゆる「メンター」として、サッカー界の現場で働くプロたちに助言を与える事を仕事にしているのだ。

 彼の顧客の一人に、就任初年度でコリンチャンスをサンパウロ州選手権とブラジル選手権で優勝に導き、時代の寵児となった感のある、ファヴィオ・カリーリ監督がいるから驚きだ。「今は6人の監督(5人はブラジルで監督を、1人はジャマイカで監督をしている)と契約している。コリンチャンスのカリーリと、リオ州のアメリカFCのルーチョ・ニッツォ、名前を明かせるのはこの2人だけ。他の4人には伏せてくれといわれている」とシモエスはブラジルスポーツサイトの電話取材に答えた。

 シモエスは今年に入ってすぐにカリーリとの仕事をスタートさせた。普段シモエスはコリンチャンスの練習場にたちいることもなく、カリーリとは電話やメッセージアプリでコンタクトをとっている。「私は、サッカーの戦術的なことや技術的なこと、メンバー編成などにも立ち入らない。私が助言するのは、監督としてどう振舞うのがよいか、自分のエゴをどうやってコントロールするかといったこと、チーム内の人間関係で問題が起きたときの対処法、メディアとの接し方といった事だ。顧客には自分の講演ビデオを見せたり、モチベーションを高める映像を紹介したりもする。実際に会うのは時々だ」とシモエスは語る。

 シモエスはサンパウロの新聞の取材にも答えている。

Qあなたの、カリーリとの仕事とはどのようなものですか?
A一つの試合に勝った負けたというレベルでなく、リーグ制覇を果たすため、彼(カリーリ)がコリンチャンスの中で継続的に成果をだせるような体制を作るために、私は彼をサポートしている。彼は、普通の人が「たまにならうまくできる」事を、毎日とてつもなく高いレベルで継続して行える

Qカリーリはいつも選手たちと良好な関係を保っていると言い、誰に対しても態度を変えることなく平等に接していると言っていますが、あなたはどうやって、カリーリにそれを教えたのですか?
A人間関係の保ち方、不和が生じたときの対処法、エゴの抑え方、選手たちにどんな事をどんな態度で話したらよいかなどをコーチした。選手たちに適切な態度で、適切な話をすることで、グループにとって良い影響をもたらす。

Qカリーリはあなたの生徒としてどうですか?
A彼は素晴らしいよ。カリーリの力量、人間としての器を海に例えると、私のサポートは一滴のしずくのようなもの。彼は監督就任までの助監督としての8年間で、多くの経験を得て、また自信も手にしている。9月から10月にかけて、コリンチャンスの調子が悪かった時、周りは「メンバーを変えろ」だの、「もっと選手の尻を叩け」だのと言っていたが、彼は惑わされなかった。彼はとても勤勉な男だ。

 カリーリには元サッカー監督のメンターがいた事は僕にとってはかなりの衝撃だった。 シモエスはコリンチャンスと契約しているわけではなく、監督と個人契約を結んでいる。 チームの調子が悪ければ、すぐに監督のクビをすげ替え、強化担当者のクビが飛び、監督不在時の代行のヘッドコーチは、「すぐクビになる監督への昇格はイヤ、早く次の監督を呼んで、俺をヘッドコーチにもどして」などと言う、いわば監督の回転木馬状態のブラジルで、こんな事が発覚したら、早速シモエスを抱え込もうとするチームが出てきてもおかしくない。でもシモエスは40年もこの世界で生き抜き酸いも甘いも嗅ぎ分けた人物。特定のチームに抱え込まれるよりも、フリーランスとして生きていくほうを選び、今後も多くのチームや監督から求められる事だろう。
 とにかく、監督のメンターなんて職業、初めて聞いた。今後もそうした存在がサッカー界で一般的になっていくのだろうか?