ブラジルサッカー便り 

2014年よりブラジル、サンパウロ在住、サッカー大好きです。

サッカー映画祭に行ってきた

f:id:kimio_ido:20171209045614j:plain

 

12月1日から5日までサンパウロで開かれた、サッカー映画祭CINEFOOT8 に行ってきた。僕が行ったのは最終日5日の最終上映「Chiedi chi era Falcão」だ。

(僕の訳では、「ファルカンって誰?」だって?・イタリア映画87分)

www.youtube.com

 ファルカンと言えば、あの、ジーコ、ソクラテス、セレーゾと並ぶ黄金の中盤の1人だ。世界を魅了するサッカーを1982年スペインワールドカップで披露するも、イタリアに2-3で敗れ、2次リーグ敗退となったあの悲運のチームのメンバーだ。

 1993年ドーハの悲劇の後、1994年から半年だけ日本代表の指揮もとったのだが、覚えていない人もいるかもしれない。

 彼はブラジル南部の強豪、インテルナシオナルで一時代を築きチームに何度もタイトルをもたらすと、1980年にイタリアのローマに移籍。華麗なプレーでサポーターの心を掴み、「ローマ帝国第8代皇帝」のニックネームをつけられるほどだった。

 ユベントス全盛の1980年代前半にローマを率いて対抗。82/83年シーズンには遂にイタリアリーグ優勝を果たすと、翌年のチャンピオンズカップ(今のUEFAチャンピオンズリーグ)でも準優勝を成し遂げた。

 そんなファルカンが、幼少期からインテルのトップチームに入るまで、インテルでの活躍とイタリアローマ行き、当然ながら82年スペインワールドカップでのことを振り返る回想録だ。

 ファルカンの子供の頃を知る人へのインタビューや、現役時代の華麗なプレーの映像を大いに堪能したが、一番グッと来たのは、
「私は子供の頃からインテルの大ファンだった。選手たちは私にとってまさにヒーローだった。だから、選手時代にはいつもサポーターの事を思ってプレーしてきた。体調が完全でない時もある。怪我の痛みが取れないときもある。でもそんなことがなんだって言うんだ。絶対にサポーターを失望させるようなプレーはしない。いつもそう自分に言い聞かせながらやってきた」と独白したところだった。
 現役のころから少し頭髪が薄く、バック・トゥ・ザ・フューチャーのドクのような風貌だが、そう語るファルカンは、最高にエレガントでかっこよくて、映画の途中だけど、「そーだぁ!そのとーり!」と叫んで拍手したくなってしまった。
 もちろん僕は、今の時代の選手だってリスペクトしているけれど、なんか商業的になりすぎた今のサッカーには寂しさを感じる。少し粗めの当時を伝える映像や、少しメランコリックなローマの応援歌も相まってウルウル来てしまった。

Roma roma roma - Antonello Venditti - Con testo - YouTube

 日本のサッカー映画祭関係者の皆さんは、是非次回のサッカー映画祭の機会に、Chiedi chi era Falcão(イタリア映画)を上映することをお勧めしたい。