ブラジルサッカー便り 

2014年よりブラジル、サンパウロ在住、サッカー大好きです。

コリンチャンスの指揮官ファビオ・カリーリ(43)日本行きの夢を語る

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サンパウロ州選手権優勝記念写真集発売記念イベントのファビオ・カリーリ監督(左)と、コリンチャンスオフィシャルフォトグラファーのダニエル・アウグスト・ジュニオール氏(右)(Rodrigo Gazzanel/Ag. Corinthians)

 

2カ月前の6月3日のエントリー知られざる若手有望監督、真面目一徹、コリンチャンス、ファビオ・カリーリの素顔 「いつか日本で監督をしたい」とも語る - ブラジルサッカー便りと内容がかぶってしまうが、お許しください。 またもや、今を時めくコリンチャンスのファビオ・カリーリのロングインタビューが地元新聞に載っていたので、訳して紹介したい。

 誰もが「今年は苦しいだろう」と予想していたコリンチャンスを、サンパウロ州選手権優勝に導き、ブラジル全国選手権でもここまで12勝5分の断トツ首位に導いている。

 昨年半ばにチームの象徴的存在だったチッチがブラジル代表に引き抜かれて、迷走していたチームを一気によみがえらせたチッチ時代の助監督、43歳のカリーリは今やメディアに引っ張りだこだ。 

 

Q みんながみんな口をそろえて称賛し、あなたに異を唱えるもの、あなたの力量を疑問視するものは一人もいない、こんな状況をどう見ている?

A 正直、ちょっと驚いている。他チームのファンにも声をかけられて、サインや写真をねだられたり、「俺はコリンチアーノじゃないけれど、あんたの仕事ぶりは見事だ」って言われる。 あまりにチヤホヤされるのは居心地がよくないから、最近は朝7時半に練習場について、夜遅くまで仕事、残りの時間は家にこもっている。

 

Q いつの時点で、「このチームは行けるぞ!」と思った?

A 実は1月、フロリダでのプレシーズンキャンプの時から。選手たちのトレーニングの様子から、「今年は行ける」と思っていた。もちろん、サンパウロ州選手権優勝や、全国選手権の前半でこんなに勝ちまくるなんて想像はつかなかったけれど、チームには団結力があったし、選手がみんな献身的にトレーニングに励んでいた。

 

Q サンパウロ州選手権第2節、ホーム開幕戦で、全国4部にも入れないサント・アンドレに0-2で負けた時はどう思った?

A 結果には不満だったけれど、試合内容には満足していた。シュート数は29-2だったし。同じ負けならフェロビアリア戦の方がよほど腹立たしかった。内容も全然ダメだったし。 負けたサント・アンドレ戦より、勝った試合で不満を感じたことだってある。(注・コリンチャンスは今シーズン、2回しか負けていない。今もフェロビアリア戦以降の連続無敗記録を32で更新中)

 

Q 印象に残っている勝利は?

A 第7節、6月14日のホームクルゼイロ戦 (ブラジレイロン第7節 コリンチャンス6連勝で首位キープ - ブラジルサッカー便り)後半は特に押し込まれて、勝ちに値する内容ではなかった。引き分けでも仕方なかった。

 

Q 今のコリンチャンスは絶好調ですが、サッカーでは状況が目まぐるしく変わります。いつ何が起きるかもわからないこの世界で、物事がうまく運ばないとき、批判の声に囲まれる準備、(覚悟)は出来ている?

A 心の準備は出来ている。ここで8年助監督としてやってきて、良い時も悪い時もみんな見てきた。

 

Q 助監督としてキャリアを始めた頃を覚えている?

A 2010年、チームにはロナウドも、ロベルト・カルロスもいた。そんな時、「彼らに自分が言えることって何だろう?」と思ったよ。

 

Q サンパウロ州選手権で優勝した時の気分は?

A ホームの満員の観衆の前でヴィクトリーランをした時、ファンが自分の名前を叫んでいたときはとてつもなく大きな喜びだった。

 

Q どうしても「チッチの弟子」のイメージが付きまとってしまいますが…

A それに関しては自分も同意するし、問題だとも思わない。私の監督としての基本方針は彼と一緒だ。実際、自分と彼の気質、性格は似ている。5年半も彼のもとで働けたことに感謝している。

 

Q 2005年に選手だった時、強豪インテルのオファーを断り、サンパウロ州2部のチームに行きましたね。

A 私は19歳まで発電所で働き、家計を助けていた。最初の選手としてもオファーはその時の給料の6分の1、サッカー選手になるのを辞めようと思った時に、父親が、「迷うな。自分の夢に賭けろ」と言ってくれた。2011年に姑が亡くなった。亡くなるまでは11年寝たきりで、ずっと妻が介護してきた。その時も遠い地方のチームからのオファーを断って、給料8分の1のチームでプレーした。私には家族が一番だ。いくらビッグクラブからのオファーでも、家族と離れて暮らすことはできない。

 

Q 実家のあるサンパウロ州の田舎街、セルタンジーニョで事業をしているとのことですが?

A サッカースクールを持っている。今は生徒が200人、そこではサッカーを教えるだけじゃなく、社会福祉活動もしている。サンパウロ州政府が仕事を認めてくれて、助成金を出してくれるとよいけれど。 恵まれない子供たちの受け皿になる。そんな場所を作っていきたい。

 

Q 日本で監督をすることに興味があるとか?

A そうだ。

 

Q 日本に対して、サッカーの観点から興味がある?それと日本という国の文化の観点から?

A 文化的側面だ。 2012年クラブワールドカップの時に15日間日本に滞在した。あの国の教育レベルはすごい。ゴミ箱もないのに道路にゴミ一つない。いつか私の監督としてのキャリアの中で日本という国の文化を体験する機会があったら嬉しい。でも今は無理かな。

 

 最後まで読んでくれた人、特にサッカー関係者、Jリーグチームの監督を選ぶような立場の人はカリーリにオファーを出してはいかが? 最近ではコリンチャンスでの凄まじい好成績に、速攻で中国チームがオファーを出したらしいけど、「私がコリンチャンスを離れるのは、クビになったときだけ。いくらお金を積まれても中国には行かない」と、オファーを検討することもなく断ったとか。 継続して彼の動向をウォッチして、しかるべきタイミングで誠実なオファーを出せば、きっと中国チームとのマネーゲームにならずにあっさり獲得できるかも?