ブラジルサッカー便り 

2014年よりブラジル、サンパウロ在住、サッカー大好きです。

アルゼンチンが黄色を着た日 1958年スウェーデンワールドカップ

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アルゼンチン代表の歴史で唯一黄色いユニフォームを着て戦いゴールを決めた、オレステ・オマール・コルバッタ(Foro Racing Club)

 
6月20日のエントリー
筆者の住むサンパウロ地元紙の週一連載「歴史を作ったユニフォーム」が、今週も面白かったので紹介したい。題して「アルゼンチンが黄色を着た日」だ。
 
1958年スウェーデン大会に、24年ぶりのワールドカップ出場を果たしたアルゼンチンは、初戦の西ドイツ戦を前に、胸の高鳴りを抑え切れないでいた。
ここで想像してみて欲しい。選手たちが今とはずいぶん違ったリズムでウォームアップをしていると、イングランド人レフリーのレジナルド・リーフが、アルゼンチンのユニフォームの色、水色と白の縦じまが、白一色のドイツと混同し易いとして試合で使えないと言ってきたのだ。
どっちのチームもセカンドユニフォームの用意がなく、大騒ぎになった。
解決策として、試合会場のマルメ・スタディオンをホームとする、IFKマルメ(IFK Malmö)の黄色いユニフォームを着てアルゼンチンは戦うことになった。
 
(ここで記事はブラジル人読者に直接語りかけている)「この色が我々の隣人(アルゼンチン)に幸運をもたらしたかどうか、言うまでもありませんよね。もちろん、アルゼンチンは1-3で負けました。アルゼンチンは3日後の北アイルランド戦を3-1で勝利するも、グループリーグ最終のチェコスロバキア戦で1-6と大敗し、今でも「スウェーデンでの大惨事」と記憶しているそうですよ」
 
とさすがにブラジルの新聞らしく、アルゼンチンを茶化すことを忘れない。
 
しかし、この試合でゴールを決めた、オレステ・オスマル・コルバタの事を、「歴代アルゼンチン代表選手の中でも屈指の右ウイング、ラシン、ボカなどでプレーした。PKの名手でもあり、コルバタがラシンでプレーしていた頃、ラシンのファンはPKを獲得するとゴールを確信して大喜びしていた」と紹介している。
 
さらに興味深い話がある。2010年アルゼンチンサッカー協会は、IFKマルメに、当時アルゼンチン代表が使ったユニフォームが残っていないか確認しているというのだ。答えは残念ながらノーだった。 IFKマルメは、マルメ市民に「持っていたら提供してください」と呼びかけたが、それでも見つからなかった。
 
アルゼンチン協会は曰くつきのユニフォームを手に入れるためにメッシとマラドーナのサイン入りユニフォームをオファーしたと結ばれている。
 
なお、アルゼンチン代表にユニフォームを貸したIFKマルメは、スウェーデンリーグの強豪で近年はチャンピオンズリーグにも出ている マルメFF (MalmöFF)とは違い、現在スウェーデン4部リーグにいることも紹介されている。