ブラジルサッカー便り 

2014年よりブラジル、サンパウロ在住、サッカー大好きです。

ポルトゲーザの悲劇

 

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 ポルトゲーザで434試合出場、1958年、1962年のブラジル代表ワールドカップ連覇に貢献した伝説的右サイドバックのジャウマ・サントス(2013年7月23日・満84歳没)(AgenciaBrasil)

 

 サンパウロ市には地下鉄や鉄道の駅にその名がついているチームが5つもある。コリンチャンス―イタケーラ(コリンチャンス)、パルメイラス―バハフンダ(パルメイラス)、サントス―イミグランテス(サントス)、ジュヴェントゥス―モッカ(ジュヴェントゥス)、ポルトゲーザ―チエテ(ポルトゲーザ)だ。
 
 サンパウロ市を本拠としないサントスや、格下のポルトゲーザやジュヴェントゥスさえも駅に名前がついているのに、なんでサンパウロFCだけはないんだ?と思われるかもしれないが、サンパウロFCは、本拠のモルンビー・スタジアム付近に建設中の地下鉄駅が、サンパウロ―モルンビーとなる事が決まっている。
 
 さて、今日紹介するのは、駅に名前がつくほどのポルトゲーザ、1920年創立の名門で、1996年には全国選手権1部で準優勝も果たしている。サンパウロ州選手権1部での優勝も3回だ。
 
 過去には、ワールドカップ優勝2回のジャウマ・サントス、ブラジル代表20得点のロベルト・ジナミチ、リカルド・オリヴェイラや、ゼ・ロベルト、監督ではマリオ・ザガロも輩出した名門の同チームは、2013年から転落の一途を辿っている。
 
 2013年苦しみながらも全国1部残留を決めたはずのポルトゲーザだったが、出場停止のはずだった選手を使ったとして勝ち点減点となり、2部に降格してしまった。
2014年は全国2部から3部に
2015年はサンパウロ州1部から2部に、
2016年は全国3部から4部にとドンドン降格していき、
2017年は、全国4部の1次リーグで敗退し、決勝トーナメント進出はならず、遂に2018年から全国選手権4部にさえ出られなくなってしまうかもしれないところまで落ちてしまった。
 
 昨日のエントリー

kimio-ido.hatenablog.com

の24行目で、

「全国4部の参加資格を得るには、「基本的に」前の年の州選手権で、全国1~3部に入るチームは除外した中で、上位に入らなくてはいけない。

と書いた。それは今年サンパウロ州で2部のポルトゲーザには不可能な話だったが、まだ来年全国4部に出場するための最後のチャンスが残されている。

 
 7月から、サンパウロ州1部から3部までのチームで、全国選手権1~3部に出られないチーム、全国4部に出場するも早期敗退したチームと、サンパウロFCとサントスFCの育成チームが参加するコパ・パウリスタがおこなわれ、この大会の優勝チームにも来年の全国4部出場権が与えられるからだ。
 
 ポルトゲーザは、1967年からの全国選手権出場の火を絶やさないため、あとのない戦いに臨むことになった。

 ホームのカニンデ競技場は競売にかけられそうで、サンパウロ州1部昇格と、全国3部昇格を狙って獲得したレアンドロ・ドミンゲスも退団と、逆境は続くばかりだが、22分の1のチャンスに賭ける。